人間の良い悪いの基準を歴史学から鑑みると
ちょっとした難問を歴史学から見てみます。答えは完全に出せたかは不明です。
人類学や生物学の力も借りましょう。
哲学的な問答ですが、人間の良い悪いは何でしょうか?
人によって違います。だから相対的なもので絶対的なものではないのかもしれません。
みんながみんな同じだったら困る以外のなにものでもないと伺います。
悪いを例に挙げます。悪いとはその人が損をすることです。
良いはその人が得をすることです。
なので大悪人はみんなが泣くような暴挙をしでかす輩になります。
もしくは個人でも何人でも致命傷に値するダメージを食らわせる存在ともいえます。
良いはもちろんその反対でみんなが笑える日々を保たせてくれる存在でしょう。
プラスのゴールドラッシュを何回もさせてくれる人物だと伺います。
このようにプラスが良い、マイナスが悪い、との答えになります。
普通に考えればごく当たり前ですね。意外と常識が邪魔をして見えないものです。
邪魔になっていると伺います。
ではなんで人間はよい悪いをこんなにもいうのでしょうか?
ダーウィンの進化論を引用すると人間は猿の一派から進化したといわれています。
人類学者や生物学者の方の批判はまず置いておきます。
猿の分派からという表現は適切に値しないかもしれません。
しかし動物から進化したのは間違いないでしょう。
そうでなければ猿は動物ではないのでしょうか?
分派した猿と表現しますが動物ではないのならば妖怪ですか?
違いますよね? なので人間といえども動物の範疇を抜け出ていないのです。
人間も生まれたては動物です。しつけや教育で人間らしい存在になります。
教育学の発達心理学という学問があるのは人格が固まる学問です。
人間になるのは社会に適合するのが目的だとしておきます。
もちろん他にも多くの理由があるので勘違いしないでください。
動物は潜在意識しかないので欲が中心になるのです。
語弊がありますが。人間には理性があるので欲望に対してよい悪いと判断するのでしょう。動物の悩みが少ないのは理性がないのが周知の事実ですが人間は欲望と理性に両方苦しめられるのでないかと仮定します。
仮定が正しいとすれば、動物は自分たちの正義しかわからないのでしょうか。
この辺は生物学者の方に聞くしかないのだとも思いますが人間が人間たるゆえんは理性があるからです。
とすれば、人間が理性を持ったので今の苦しみがあると伺います。
プラスとマイナスを数えるので。
とすれば人間を突き詰めると、私は本当は人間なのか動物なのかわからなくなる時があります。
哲学的な問答でますます、わけがわからなくなってきました。
最後に締めくくると今日はよい日で悪い日です。
文章はいまいちですが面白い発見ができました。
猿を馬鹿にしていましたが意外と馬鹿にできません。
こんな発見ができるとは。人間になれてよかったと思っています。
歴史をやってよかったです!
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